ヨガでしなやかな筋肉をつけよう

ストレッチを兼ねているので気持ちよく体が動かせます。
Home » 日本人初のパリの画家藤田嗣治

日本人初のパリの画家藤田嗣治

藤田嗣治は東京牛込の出身で生粋の江戸っ子でした。彼は14歳のときに絵をやりたいことを同居する父に何故か手紙で告白し油絵を始めます。中学卒業後フランスへ留学したかったようですが周囲の進めもあり東京の美術学校へ進学し、卒業後すぐに留学するはずだったのですが、女性と駆け落ちし結婚。二年後にフランスに留学することになり、これが彼の運命を大きく変えるのです。どんな奇抜な絵でも評価してくれるパリの市民、として女性が働くことが日常となっていて、またその教養が高かったパリの女性と絵描きに尊敬を集めていることパリの市民に感動し、藤田の目には創造性を否定する日本の社会と大きく異なる夢の国として映ったようです。そしてこのフランスが画家としての藤田嗣治を生むことになるのです。藤田はルーブルに入るような100年後の世の中に残る絵を描こうと決心します。


そのために自分にしか描けない絵でなければならないと考えるようになります。日本人である自分にしか描けない絵を描けば、必ずみなを虜にできると考えたのです。そのために彼は日夜勉強します。また生活も芸術家らしいことが必要と考えた藤田は裁縫の先生であった妻から習ったらしく裁縫も得意でファッションの勉強もしていたといいます。西洋のルーツはギリシャであるとギリシャ風の衣装を自ら縫ってその衣装でパリを練り歩いたりもしています。このパリでの生活がなければ、エコール・ド・パリの画壇でピカソやモジリアーニらと共にもてはやされた日本人初のパリの画家・藤田嗣治は生まれなかったと思うと人生はなんでも挑戦しみずから新しい道を切り開くことがどれだけ重要か思い知らされます。晩年、藤田はフランス国籍を取得し日本国籍を抹消、最後のフランスでの生活はとても静かなものだったといいます。1959年にはフランスで死ぬ準備だったのかキリスト教の洗礼も受けています。藤田嗣治の宗教画には仏教画の構図を取り入れたものも多く、どこまでキリスト教に入信していたのかは定かではありませんが、異教徒のままでは終われないという信念があったのかもしれません。


1968年80歳で彼はこの世を去ります。日本を愛し、日本を憎み、何よりも絵を愛し絵に対する愛情だけはだれにも負けず生涯不変であった藤田嗣治。その独特の生き方が彼の残した多くの作品に溢れ出ていることを感じさせられます。独特な絵のタッチをぜひ本物の彼の作品を直接観て味わっていただきたいものです。

Comments are closed