藤田嗣治は世界的に認められている巨匠の画家であり彫刻やエッセイにも優れた作品を残しています。彼の作品の特徴は日本画の技法を取り入れた油彩画で、独自の乳白色の肌とよばれたヌード画はフランスのパリで絶賛された作品でフランスのエコ-ル・ド・パリの代表的な画家の一人といわれています。藤田嗣治は日本とフランスにおいて奔放な生き方をしており生涯5度の結婚を繰り返して一生でした。1986年東京に生まれ子供のころから絵を描き始め高校卒業後、東京芸術大学へ入学しフランスから帰った黒田清輝の教えを受けましたが、当時の日本の画壇の主流であった印象派や写実主義の授業に失望していました。卒業後は数多くの展覧会などに作品を出品しましたが印象派が主流であった文展などでは全て落選しています。1913年フランスに渡りパリの芸術家が多く住むモンパルナスに居を構えそこでピカソやモディリアーニなどと親交を交わしお互いに影響を受けあっていました。

当時のパリではすでにキュビズムやシュールレアリズム、素朴派など新しい絵画が登場しており日本で印象派の絵画こそが洋画であると教えられてきた藤田は大きな衝撃を受け以降作風を大胆に変化させています。パリへ来てからわずか1年後に第一次世界大戦がはじまり、困窮の生活の中終戦を向かえます。以降少しずつ作品が認められ売れ始め、ついには個展を開催するまでになり名声も高まりました。そして2年後には日本に帰国し5度目の結婚をしています。再度パリへ渡航しますがすぐに第二次世界大戦がはじまりやむなく帰国し軍に陸軍美術協会理事長として入隊し、戦争が画などを手がけています。しかし敗戦後日本軍への戦争協力による批判が起き嫌気が差してまたフランスに渡っています。そして再会を果たしたピカソとの親交は晩年まで続き、フランス国籍を取得後フランス政府からレジオン・ドヌール勲章を授与されています。カトリックの先例を受け名前はレオナール・フジタとなっています。1968年スイスのチューリッヒにおいてガンにより死去しました。遺言により遺骨はパリの郊外にあるヴィリエ・ル・バルクに葬られています。フランス政府や日本政府からも惜しまれ、日本政府からも勲一等褒章を没後贈られています。

藤田の作品は日本では東京国立西洋美術館などで見ることができます。近年日本でも藤田嗣治の絵と彼の生き方を愛する人が多くなるにしたがい藤田嗣治の絵を目にする機会も増えることでしょう。