ヨガでしなやかな筋肉をつけよう

ストレッチを兼ねているので気持ちよく体が動かせます。
Home » 藤田嗣治は時代に放浪された画家

藤田嗣治は時代に放浪された画家

藤田嗣治は、1886年東京出身の画家、彫刻家です。非常に人気のある作家であり、個展が開かれると、多数の人が訪れる、世界的に有名な芸術家です。日本画の技法を油彩画に取り入れ、藤田独特の乳白色の肌色の女性等は海外で大絶賛されました。その独特の技法の全容解明は完璧にはなされておらず、どうやって描かれたものなのか、神秘性が残る作品を多く残しています。その不解明な神秘性が藤田の人気を不動のものとしています。藤田嗣治は、幼少の事から絵を描きはじめ、1913年にはフランスに留学しています。幼少から絵を描き続け、美術学校にも入学し、意欲的に作品制作を行い、活動していましたが、当時の日本ではあまり高い評価を得る事はできず、精力的に国内展覧会に出品しても、落選を繰り返していました。


パリに留学してからは、パリのモンパルナス地区に住んでいました。当時、モンパルナス界隈は、町外れにある新興地域にすぎず、そのため、多くの貧しい芸術家達が安い家賃を求めて、住んでいました。その中には、後に世界的に有名作家となる人々が沢山いました。日本国内では、当時主流であった印象派こそが絵画であるといった概念は、パリは既に終わっており、キュビズムやシュールレアリズム、素朴派等の新しい絵画の方法が主流になっていました。藤田は、それらに非常に衝撃を受け、絵画の自由、奔放さといったものに目覚めることになります。しかし第一次世界大戦にはいると、生活はますます厳しくなり、絵を描くどころではなくなってしまいます。食事にも困り、描いた絵を燃やして暖をとっていたという話しは有名です。


第一次世界大戦が終わると、状況は一変し、多くのパトロンがパリに集まり、その勢いで藤田の絵は、一気に一流作家の作品として地位と価格が上がりました。これにより、生活は一変し、安定した創作生活を送れる様になります。藤田独特の手法がパリで人気となり、サロン出展や、勲章授与等様々な名誉を得ています。当時のフランスでは、藤田の名を知らない人はいない程、人気がありました。個展はヨーロッパだけではなく、アメリカでも開かれ、大きな賞賛のもとに迎えられ、大成功をおさめました。しかし第二次世界大戦が始まると状況はさらに一変してしまいます。ヨーロッパで長く生活していた藤田嗣治は、日本では身の置き場がなく、結局フランスへと戻ります。時代に翻弄された作家、それが藤田嗣治と言えます。

Comments are closed